閑散としたキング通りから、ショッピングセンターに向かった。今日も、ショッピングセンターは客が多い。皮ジャンを買う決意で、一階の店へ入って行った。昨日の店員の姿は見えず、二人の若い男店員が、忙しそうに客の応対をしていた。昨日のMサイズを試着したが、やはり、一回り大きい感じだ。Sは、大きさはピッタリだが腕が少し長い。日本とサイズが違う。試着していると、若い店員が近寄ってきた。彼は、背丈は僕と同じで、スラッとした男前の店員だ。「これをください」と、試着していたジャンパ−を彼に手渡した。彼は、ニッコリ笑いながら、「おおきに」と、日本語で返してきた。その一言に、驚き躊躇してしまった。それ以上に驚いたとことは、「おおきに」と、流暢な関西弁だった。僕は、彼の顔を凝視してしまった。彼の髪は、栗色だが黒に近い。顔を見ると、アイルランド人でなく日本人だと思えてきた。しかし、どう見ても鼻筋と目の色、顎の特徴からするとやはり日本人ではない。
ニヤとしている彼に、「君は、アイルランド人か」と、苦し紛れの質問をしてしまった。「はい、そのとおりです」とニコッと笑った。僕は、彼が僅かの日本語を知っているだけで、「からかってきた」のだと思えた。日本語で彼に、「関西弁がわかりまっか」と聞いてやった。すると、逆に「大阪の人でしょう」と言われてしまった。あまりの完璧な日本語(関西弁)に、我を疑いつつ彼の顔を再凝視した。「どこで、日本語を習ったのか」と聞くと、「2年間広島にいました。主に関西の人達と仕事をしたので、関西弁を覚えたのです」と言いながら、ジャンパ−を袋に入れ始めた。二年間でこれだけ流暢に話せるとは、たいしたものだと思った。「日本で、彼女はいたのか」と聞くと、「まーね、でも女の子は恐いからね」と、ニコッと笑いながら、「例の」両手の手のひらを上にして、「参った」のジェスチャーをした。「何か悪い事でもしたのか」と冷かすと、「いやいや、そんな事はしていないよ」と目をクリッとさせた。巨人の高橋由伸に似た「ハンサム」な若者だ。
彼は、「日本は、皮ジャンは高いから2倍するでしょうね」と言った。僕と彼が日本語で話しているのを見て、もう一人の店員が不思議そうに私達を見ていた。レジを済ませて彼に、「戻し税」の書類を、書いてくれる様に依頼した。彼は必要事項の記入した書類を、丁重に封筒に入れ、皮ジャンを大きなビニ−ルバッグに入れてくれた。それには、「ユニーク・メンズウエアー」と店名がプリントされていた。もう少し話をしたかったが客が多いので、諦めて店を出ることにした。「ダブリンに来たらまた来るよ」と言うと、「サンキュ−」と言って手を振ってくれた。5時半を過ぎ夕暮れは近い。仕事を終えたサラリ−マンやOLの姿が多くなってきた。この国の男も女も、実に個性的で、同じ型の服装や髪型の若者や、「ベタベタ」化粧した女性はいない。「ミニスカート」が流行れば、皆んなミニ、「狼カット」が流行れば、皆狼。そんな流行に影響されない民族のようだ。
ダブリンの人達は、黄色や赤の原色を好まないのか、シックな服を着ている。それに、「せかせか」と歩くサラリーマンの姿や「偽の金髪の若者」が、”だらだら”と街を歩いていない。そんなダブリンの街が、とても気を休めてくれる。この国は、僕にとって最高の国だ。ダブリンの人達の髪の毛の色は、金髪は少なく、栗色が多い。金髪の混じっている度合いが、少しずつ違うので、一言に「栗色」と言っても、それぞれ個性がある。ほとんどの若い女性は、「口紅程度」の化粧をしているだけだ。「それ」が綺麗だから不思議なものだ。テレビで、「外人」のファッションショ−を見たことがある。モデル達の長くて細い足と腕、それは魅力的かもしれない。しかし、今僕の目の前を歩いている彼女達の方が遥かに綺麗だと思う。パブかレストランに行くような、二人連れの若いカップルが多くなった。「居酒屋」にでも行のだろうか、4人連れのサラリ−マンがクラフトン通りに消えた。仕事を終えた人々の表情は明るくみえた。
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